私は約束(ルール)を守る人が好きです。
勉強でも仕事でも人は一人では生きていけませんし、関係する他者が存在する以上、そこにルールは存在します。
また、自由とは約束を守った者に与えられる権利だと思います。
私自身、学生の頃は自由を求めていました。尾崎豊は今でも大好きですし♬
周りの友達に恵まれたこともあり、自分の好きなように意見を述べ、好きなように行動し
少なからず他人に迷惑をかけたこともあったと思います。
ただ、社会に出れば自分に多少突出した能力があっても「約束(ルール)」を守らなければ評価されることはありません。
それを守ることなく
「会社は俺のことを評価してくれない」
「もっと給料を」
「もっと出世すべき」
「自分の居場所はここではない」
お恥ずかしい話ですが、私自身そう考えたこともありました。
当時の私を振り返って思うのですが
当時の私は“自分なり”に一生懸命やってたんじゃないかと。
ただ、“自分なり”という基準が“評価される”結果につながる基準ではなかったというだけで。
約束(ルール)とは基準とも置き換えられるのではないでしょうか。
私は志望校合格・成績アップを目的に仕事をしていますが、これも一つの基準です。
志望校に合格する基準
成績をアップさせる基準
「志望校に合格する基準」でやるのか「一生懸命な自分の基準」でやるのか。
基準を意識することなく一生懸命頑張っても…報われる可能性はかなり低いと思うのです。
私が会社で出世しなかったように(笑)
当校の学習は、生徒が一生懸命やっているかどうかで評価をしません。
一生懸命が結果につながるのは…天才の所業だと思っていますから。
レベルが低い時は
昨日よりどれだけできるようになったか
という相対評価。
レベルが高くなれば
100%
あるいは
合格に必要な点数
という絶対評価となります。
ちょっとぐらい遅れてもいいんじゃないか?
これぐらいできなくてもいいんじゃないか?
俺は一生懸命やってるから
時間が足りなかった
このような言い訳を重ね、約束を守れない子は
最後の最後に
「他者との約束(ルールや評価基準)より自分の一生懸命(目的を意識しない自己基準)を優先した」
と私は考えます。当然、評価しません。
約束したことを(私が)100%やりきらせる。
当校はそういう環境ですが、それは本人が成長していくと
約束したことを(本人が)100%やりきる。
環境に変わっていきます。
それは社会に出てからも通じる行動原理だと思うのです。