寺子屋

最近、江戸時代の寺子屋に興味を持っています。

江戸時代、日本の識字率は70~86%で同時期のイギリスでは20~25%、フランスでは1.4%、ロシアでは20%程度だったということを考えると、日本の教育水準が尋常ではない高さだったことがうかがい知れます。

その教育方法も

「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」

という言葉に代表されるように段階的教育法に基づく理論と実践を融合した総合人間教育であったと考えます。

また、寺子屋の形態はまさしく私塾。

狭い町内にいくつかの寺子屋があれば、生徒と保護者には選択の自由が生まれ、寺子屋間には競争が生まれます。

現代と同じく厳しい競争原理が働き、「高い質の提供ができない・評判の悪い」ところは廃業せざるを得なくなる。

また、1人の先生が様々な年代の生徒を1つの場所で、それぞれに合わせて指導するという形態は個別指導のはしりかもしれませんね。

小さい頃から一人の指導者が一貫指導というのは、中高一貫指導のはしりともとれるかもしれません。

現代の教育との違いは“公立”が存在せず、私塾が競い合っているという点でしょうか。

現代でも中学生を指導していると・・・
違う意味で「公立が存在しない」感じを味わいますが(苦笑)

と、ここまで書いてみて思うんですが・・・

当校は、まさしく寺子屋スタイル!

寺子屋ニュートン

に改名しようかと思うほどです(笑)

当校では現在、小学校5年生から大学受験生までの幅広い年代の生徒が通学しています。

その年代の違う生徒を、ほぼ1人の先生(私)が一つの教室で算数から小論文まで、それぞれに必要な科目を目標と現状の発達段階と教科のバランス、到達期日に合わせ指導します。

理科が得意な子は社会に時間を回せますし、学校がしっかりしている生徒は苦手教科を一点突破で集中的に学習することもできます。

学校で指導していない科目も指導することができます。

小論文指導の添削が先生の都合でなかなか返ってこないということもありません(笑)

現在の教育制度で私が不満な点は教員免許制度です。

特に中学校・普通高校の先生は、(お仕事が大変なのでしょうが)専門的な教科指導に特化するあまり、指導教科以外の他教科とのバランスや進度・全体像を把握できていないように感じます。

学習指導要領の関係もありますが簡単に言うと・・・

授業計画や進路指導、何より入試が下手。

また、学習塾でも高校の内容に入ると指導者が変わったり、高校入試に特化しすぎて、できる生徒でも中学校という範囲を超えられない。

あるいは高校生を中学校の範囲まで戻して指導できないというケースもあります。

現在の教育が失くしてしまった

一人の先生が小学校から一貫して全ての教科を指導する寺子屋スタイル

ぜひ当校でお試し下さい!!

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