非言語化③あらため言語化②

数学の話。

数学の文章題は非言語化(図表化)してみましょう。

 

その前に

「計算はできるけど文章題はできない」

という子供の主張のほとんどは

「計算もできない」

ということをお忘れなく。

 

そちらは言語化の問題ですが・・・

 

非言語化③を書こうと思いましたが、言語化②にします。

 

数学に限らず生徒のできない理由を言語化させてみると、できない生徒ほど論理性に欠けることかがわかります。

感情論というオブラートに包まれているものは、面倒くさい・先送り・計画性の無さゆえにリプランできない、一生懸命、そして誰かが悪い。

 

あるいは自分は悪くない。

あるいは自分が全て悪い・・・全てという言葉は自分の心の具体的な汚い部分を覆い隠すオブラートに過ぎませんが。

 

まぁ、できない理由を訊いているので当然と言えば当然ですね。

 

では、次はどうやったらできるのかを言語化してみましょう。

そうすると数値や時間・計画の無い「目の前の人を喜ばすだけのできもしないこと」を言う子供とどうすればいいかを考え、何とか言語化しようとする子供の2パターンに分かれます。

 

ごまかす子とやろうとする子

あるいは

次もただ失敗する子と次は可能性のある失敗、または成功をする子。

 

人間に限らず生物は成長と恒常性の維持という相異なる二つの動きを同時にやっているわけです。

 

できるようになりたい!変わりたい!!

という気持ちと

面倒くさい。考えたくない。今はやりたくない。

 

前者も後者もどんな人間の中にも共存する感情で、通常の比率や大事な時の比率に個人差があるだけだと思うのです。

 

今やらない人は、時間が今という瞬間の連続であるという概念がなく、ある瞬間から突然自分が変わるように考えます。

そしてできるようになると信じている。しかし、今、変わろうとはしない。

 

結局、最後は人にすがるのに、一人じゃ生きていけないのに、瞬間の感情を優先して保護者や友達といった味方を傷つける。

 

これは不登校児の特徴とも重なります。

 

味方を疲弊させ、あきらめさせて自分の主張を貫く。

自分自身の将来を、あるいは命を人質にして味方を脅す。

 

自分を正当化する。仕方ないとあきらめさせる。

親や親と同様にあきらめない人ほど嫌な思いをし、大きな傷を負います。

 

次は何を妥協しましょう。

何をその子のペースに合わせます。

目標・目的や社会のペースに合わない寄り添い方は、結局、二重に当人を苦しめるのではないでしょうか?

 

できないことの言語化は時として痛みを伴います。

しかし、なぜできないのかの理由を解明せずに一生懸命頑張ることでは解決しないことの方が多いです。

 

私が行う不登校児支援、あるいは個別指導も決して楽しいことばかりではありません。

 

しかし、その子の一生懸命を結果につなげる。

本当の意味で努力が報われるようにするためには、本人の嫌なことも辛いこともやらなければいけないこともあります。

 

もう一度問いかけます。

逃げているのは果たして本人だけでしょうか?

 

今、私の前には入試を控えた生徒たちがいます。

高校受験の生徒はまだ足りないところもありますが(苦笑)、大学受験の生徒はどうやったら合格するかを自分の頭で考え行動しています。

 

その少し大きくなった背中を見てると、ぶつかったことや逃げなかったことが私にとっても勲章のように思えるのです。

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